大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

鹿児島地方裁判所 昭和52年(タ)10号 判決 1979年2月28日

原告 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 石田一則

被告 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 乾倫京

主文

原告と被告とを離婚する。

原告と被告との間の長男一郎及び二男二郎の親権者を被告と指定する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は主文一、三項同旨並びに「原告と被告との間の長男一郎及び二男二郎の親権者を原告と指定する」旨の判決を求め、その請求の原因として次のとおり述べた。

一  原告と被告とは昭和三四年四月二四日結婚式を挙げ、同年五月二七日婚姻の届出をした夫婦であり、爾来鹿児島市において同居し、その間に長男一郎(昭和三五年一〇月九日生)及び二男二郎(昭和三九年九月二日生)の二子をもうけた。

二  被告の実家は鹿児島市内で旅館業を経営していたが、被告が右旅館業を手伝っていたため、昭和三七年ごろからは原告ともども、家族全員が被告の右実家で生活するようになった。そのころ原告は同市にある鹿児島県○○協同組合に勤務していたが、右旅館の多忙時には退社後も旅館業を手伝わざるをえず、食事も従業員といっしょにとるような状態であり、一方被告は旅館業の手伝いに追われ、原告がいつ勤務先から帰宅したのかも分らないような毎日であり、その間、昭和四二年ごろ、原告は鹿児島市○○に居宅を新築したが、右新居は空屋同然であって、原告としては心身の休まる家庭的な生活がえられなかった。被告は気性の激しい、自分の意見を強く押し通す女性であるが、昭和四五年七月ごろより原告と原告の勤務先組合の同僚の女性である訴外乙川雪江との仲を疑い始め、興信所を使って原告の行動を調査させ、原告の勤務先組合の会長、専務等に「二人の仲を清算させてほしい」旨談じ込んだり、組合に度々電話をかけ、或いは自らが出向いて両人の行動を調査するなどした。原告は乙川との間には被告の疑うような関係はないから、事実無根のことを言いふらしてはいけないと何度も注意したが、被告は聞き入れず、右のような行為を繰返すため、遂に乙川は、昭和四六年七月、組合を退職し単身で大阪に出た。原告はその後も組合に勤務していたが被告の取った行動のため組合にいたたまれず、同年一〇月、組合を退職し、大阪に出て、同年一二月、豊中市の○○○電化株式会社に勤務したが、翌昭和四七年四月、被告が○○○電化株式会社の社長に対し「原告が他の女性と同棲している」などといやがらせの電話をしたため居づらくなり退職し、その後○○開発株式会社本社(大阪市)、同社名古屋支店、○興業株式会社(大阪市北区)と勤務先を転々とすることを余儀なくされている。その間、被告は、原告所有にかかる右○○の居宅とその土地につき、原告不知の間に、被告と二人の子供に対する所有権移転登記を経由した。一方原告と被告は、昭和四七年一月三日、被告の両親をまじえて離婚の話合いをし、被告も婚姻関係の破綻を認めたが、子供が学校を卒業するまではと離婚に応じなかった。ついで同年四月、原告と被告とはそれぞれの両親を交えて離婚の話合をしたが、被告は原告を夫と思う気持はなく、また婚姻関係を継続する気持は毛頭ないが、子供達のために今すぐ離婚の印を押すわけにはいかないという事で離婚に応じなかった。そして原告は被告との婚姻関係は実質上完全に破綻していると考え、昭和四七年七月下旬から乙川と尼崎市において同棲するようになり、その間に、昭和四八年五月一五日、訴外乙川一男が出生した。

以上のように、現在原告は乙川と同棲し、その間に一子をもうけているものであるが、原告と被告の婚姻関係はそれ以前からすでに破綻していた。而してその破綻の原因は被告が実家の旅館業を手伝って原告との生活を尊重せず、且つ原告と乙川の関係を不必要に勘ぐり、邪推し、嫉妬し、原告の勤務先まで電話し、上司に告げ口するなど常規を逸した行動を重ねたことに因るものであり、これが原告をして乙川との同棲関係に追いやった原因である。

三  以上の事実は民法七七〇条一項五号の婚姻を継続し難い重大な事由に該当するので、原告は被告との離婚を求めるため本訴に及んだ。なお原告と被告の間の子、一郎及び二郎は現在被告と同居しているが、いずれも男子であり、同人らの勉学等のためには父親である原告の親権に服せしめるのが適当である。

被告訴訟代理人は請求棄却、訴訟費用は原告の負担とする旨の判決を求め、請求原因事実に対する答弁として次のとおり述べた。

一  請求原因一項の事実は認める。

二  同二項の事実中、原告が昭和四二年、鹿児島市○○に居宅を新築したこと、被告の実家に原告家族が同居し、被告が実家の旅館業を手伝った事実は認めるが、同居は家計を助けるため原告承知のうえでしたことであり、原告も当時は気持ちよく旅館の手伝いなどをしてくれていた。しかし、昭和四四年からは○○の新居に移って家族水入らずで暮していたものである。ところが昭和四五年ごろから原告が乙川と親密な関係になり、そのことが被告に知れて以後、家庭内に多少の争いが生じた。その後原告は昭和四六年一〇月ごろ突然組合を退職し、同年一一月二〇日ごろ、乙川を追って大阪方面へ家出した。被告は昭和四七年四月ごろ、原告が豊中市の○○○電化株式会社に勤務していることを聞知し、同社に確認の電話をし、原告の生活状態などを尋ねたことはあるが、いやがらせの電話をしたものではない。なお、昭和四六年四月ごろ原告所有の土地家屋を被告と二人の子供名義にした事実は認めるが、これは原告承諾の下にしたことであって原告不知の間に勝手にしたものではない。

三  以上のとおり、仮に原告と被告と間の婚姻関係が破綻に至っているとしても、その原因は原告の女性関係にあるのであって、かかる有責配偶者から離婚請求することは許されない。

《証拠関係省略》

理由

《証拠省略》によると、原告と被告とは、昭和三四年五月二七日、婚姻の届出をした夫婦であり、婚姻当初は鹿児島市所在の被告の実家の近くにアパートを借りて居住していたが、昭和三七年ごろ、土建業をしていた被告の実家に移り住んで被告の両親と同居を始めたこと、昭和四〇年ごろ、被告の両親は旧居を売却し、旅館を買取って旅館業を始めたところ、原告家族もこれに伴って右旅館に同居し、原告が鹿児島県○○協同組合に勤務する傍ら、被告は右旅館業を手伝い、原告も時間があればこれを手伝っていたが、昭和四三、四年ごろには被告の姉の一家が名古屋市から鹿児島に帰ってさらに右旅館に同居するようになり、原告も妻の親、きょうだいに遠慮して、酒の燗付けや皿の後片付けなどをしながら、被告が右旅館業の手伝いにかかりきりになって、子供や原告の面倒見をおろそかにすることに不満を昂じさせたこと、その間原告は鹿児島市○○に新居を建てたが、右新居は被告が原告をさしおいて、自分の両親と相談のうえ、右旅館の客が鹿児島市に出張した際に使用させることときめたため、すぐには原告家族においてこれに転居することができず、一時的に転居してもすぐ被告が実家の手伝に帰ったため空屋同然となり、原告はこれについても内心不満をつのらせてきたこと、原告は右勤務先の同僚である乙川が婚姻適令期にあって、見合いの写真を預り、これを自宅の箪笥の上に置いておいたところ、これによって被告の不興を買っていたが、これに近接する昭和四五年一〇月ごろ、乙川に編んでもらった腹巻を体につけているのを被告に見とがめられ、喧嘩の末一〇日ばかり家出し、さらにそのころ、職場の帰りに乙川と鹿児島市城山に登り、通常の帰宅時間よりおくれて帰宅したのを被告に激しく責めたてられたことがあること、一方被告は右の腹巻を見るや憤激してこれを原告から剥ぎ取り、鋏で切断し、深夜に拘らず乙川宅に電話して抗議し、翌日乙川を呼出して、切断した腹巻を突き返し、原告との仲を糺し、爾来原告の帰宅が遅いといっては乙川宅や原告の職場に電話をくり返えし、はては何度となく乙川宅や原告の職場におもむき、或は乙川の帰路を呼びとめて乙川やその母に対し嫌味を述べ、原告の上司等に告げ口をしたこと、乙川はそのため右職場にとどまることを得ず、遂に昭和四六年六月ごろ、原告に相談することなく退職し、同年一〇月ごろ、いとこを頼って高槻市に出たが、原告も職場の空気に耐えられずに同月ごろ退職し、持ち合わせた金の殆んど全てというべき退職金約一〇〇万円を被告に渡して単身大阪に出、同年一二月ごろより豊中市所在の○○○電化株式会社に勤務したが、被告が右会社に対し、原告が他の女性と同棲しているなどと電話をしたため、原告は右会社に居辛くなり昭和四七年四月ごろ退職したこと、その間原告は乙川が高槻市に居住していることを知り、同年三月、乙川を尋ね、同年四月上旬に乙川が両親に伴われて鹿児島に帰ったのちも毎日のように乙川に対し上阪をうながす電話をかけ、手紙を送ったこと、乙川自身原告からの電話や手紙に接し、且つは鹿児島に帰って勤めに出ていたものの被告から依然として嫌味の電話をかけられたりしたため、同年七月ごろ、遂に意を決して原告のもとに上阪し来たり、原告もこれを迎えて四条畷市において同棲、その後尼崎市に転居して、昭和四八年五月一五日、乙川との間に一子をもうけたものであること、その間被告は原告の父に相談したのみで、原告には無断で、原告名義の右○○の家とその敷地につき、被告並びに子供らに対する所有権移転登記を経由しており、これによって原告には、自分の体以外、何の資産も残っていないが、原告は被告に右不動産の返還を求める気はないものであること、原告は被告とその後電話或は親族をまじえて離婚の話し合いを持ったが、被告は子供らの就職、結婚について戸籍上父が必要だと言って原告の話に応じないが、原告は被告のもとに帰る意思を全く有せず、子供らに送金したり手紙を送ることもなく、被告も口先ではともかく実際には原告との婚姻生活を改善し持続しようという真摯な意思を有しないものであること、以上の事実を認めることができ、右認定を動かすに足る証拠はない。

右事実によると、原告は、昭和四六年一〇月ごろ、乙川が高槻市に出たことに動かされ、もはや被告との婚姻関係に見切りをつけ、被告のもとには帰らない決意で、大阪に出たものであるが、そのころ、原告には、乙川との関係を含めて、婚姻関係破綻の因をなす積極的事実は何もなかったと言わなければならない。もちろん乙川との関係に軽卒な面があったのは言うまでもないが、右関係が、その当時、それ以上に不貞行為に該当し、或は被告との婚姻関係を危殆に導くおそれあるものであったとは考えられない。乙川との関係は被告において妻の両親、きょうだいの中で窮屈な思いをしている原告の訴えを少しでも本気でとらえ、○○での一家だけの暮しに踏み切らないまでも、自己の実家における生活態度をいくらかでも原告寄りに変えてやっておれば、それだけで時とともに薄れて行く記憶をなすにすぎないものであったとも考えられるのに、被告は、その口達者ではげしい勝気な性格故に、自己の落ち度を十分自省することができず、おそらくは又近親者ばかりの中で生活している一種の安易さから、人を責めるに急であって、事実以上に原告と乙川との関係を邪推し、あまりにも過剰に反応し、異常な攻撃的態度に徹して、遂に原告との婚姻関係を破綻に陥れ、且つは原告と乙川とをして決定的な決意に基く同棲生活へと追いやったものである。一方婚姻関係を破綻せしめた原告側の消極的事実として、被告とはおよそ対照的な無口で内向的で気の弱い原告の性格が考えられるけれども、これは右破綻の主因をなすものではない。右のように、現在、原告は乙川と同棲し、その間に一子をなしたものではあるが、それ以前においてすでに婚姻関係は破綻しており、それについては原告よりも被告の方により多くの有責事由が存する。

それ故被告との間に婚姻を継続し難い重大な事由があるとして被告との離婚を求める原告の本訴請求は正当としてこれを認容すべく、前掲各証拠によると原告と被告との二子は現在いずれも被告のもとで養育されていて、原告との間に事実上交通が存しないこと、二子とも被告を慕って順調に成育していることが認められるので、この各事実に前認定の各事実を綜合して考えると、この二子の親権者はこれを被告と指定するのが相当である。よって人訴法一五条一項、民訴法八九条に則り、主文のとおり判決する。

(裁判官 橋本喜一)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例